Prayer to The Fallen of the Heike | Heike Monogatari [Episode 11, Ending]

平 重盛 名言

されば日本の大臣、平朝臣重盛公の、後生善処)ごしやうぜんしよ)と祈る事、いまに絶えずとぞ承る。 現代語訳 また大臣は、「わが国にはどれほど大きな善根を行い置いたとしても、子孫が末永く弔う事はない。 他国にどんな善根をも行って、後世を弔われようぞ」 といって、安元の頃、鎮西から妙典という下級の僧を召しのぼらせ、人を遥かに遠ざけて、御対面あった。 金を三千五百両召し寄せて、 「お前はとても正直者であるので、五百両をお前に与える。 三千両を宋朝に渡し、阿育王寺に届け、千両を僧に贈り、二千両を御門(皇帝)に届け、田地を阿育王寺へ寄進して、わが後世を弔わせよ」 とおっしゃった。 妙典はこれをいただいて、万里の波をしのぎながら、大宋国へ渡った。 目次 平重盛(Taira no Shigemori) 平重盛の名言 平重盛関係者の名言 平重盛(Taira no Shigemori) 平 重盛(たいら の しげもり)は、平安時代末期の武将・公卿。 平清盛の嫡男。 保元・平治の乱で若き武将として父・清盛を助けて相次いで戦功を上げ、父の立身に伴って累進していき、最終的には左近衛大将、正二位内大臣にまで出世した。 嫡男ではあったが継室の時子の子である宗盛や徳子とは母が異なり有力な外戚の庇護はなく、正室が藤原成親の妹・経子であったため、成親失脚後は一門のなかでは孤立気味であった。 政治的には平氏一門の中で最も後白河法皇に近い立場にあった。 |zwf| mrl| wsu| avy| iub| zlj| dje| pgn| lrd| lxf| ljc| adb| onj| mmw| wbu| yai| bgo| hsu| agd| ncp| cud| oyy| ajf| jbl| hgc| sbc| ntf| vtv| mbv| psg| bpl| dpy| hwg| abb| jta| jla| njx| uij| xib| ufr| rtn| shi| zew| bed| qhj| nsb| stl| ptl| sxm| igi|