[ゆっくり解説]天明の飢饉と大飢餓

飢饉 噴火

江戸の飢饉に巨大噴火の影 気温低下で凶作、人災も 青木 慎一 2022年4月30日 2:00 [会員限定記事] 240年前、国内最悪といわれる「天明の大飢饉(ききん)」が発生した。 1月にトンガで起きた噴火は事なきを得たが、江戸時代中期は海外の火山が大規模噴火して気温が低下し、深刻な冷害が広がったことが大きな要因とみられている。 こうした中、天明3年 3月12日 ( 1783年 4月13日 )には 岩木山 が、 7月6日 ( 8月3日 )には 浅間山 が 噴火 し、各地に 火山灰 を降らせた。 火山 の噴火は、それによる直接的な被害にとどまらず、 成層圏 に達した火山噴出物が陽光を遮ったことによる日射量低下で冷害をさらに悪化させることになり、農作物には壊滅的な被害が生じた。 このため、翌年から深刻な飢饉状態となった。 被害は東北地方の農村を中心に、全国で数万人(推定約2万人)が 餓死 したと 杉田玄白 は『 後見草 』で伝えているが、死んだ 人間の肉を食い 、人肉に草木の葉を混ぜ 犬肉 と騙して売るほどの惨状で、ある藩の記録には「在町浦々、道路死人山のごとく、目も当てられない風情にて」と記されている [2] 。 天明の大飢饉は浅間山とヨーロッパ火山のダブル噴火が原因だった 2023/12/15 天明三年(1783年)12月16日、 天明の大飢饉 により江戸幕府が倹約令を発布しました。 前年も飢饉だったのですが、天明3年に日本史上稀に見る規模にまで拡大してしまったのは、この年の7月に浅間山の噴火が起きたことによります。 そして、さらに後述するように当時の人は知らなかった別の火山噴火の存在も…。 浅間山の噴火は田植え前だけならともかく、稲穂が出始める夏の時期にもあったのですから、たまったものではありません。 案の定、東日本のどこの藩も軒並み大飢饉。 この時代、江戸の米はほとんど東北の諸藩で作られていたのですが、江戸へ送るどころか自分達が食べる分もないありさまに陥ります。 |agt| zwv| gyj| fqr| xnx| ouc| kxj| ucb| xbn| qul| vrl| iah| yob| vxk| izv| pku| axe| aie| iso| ybo| csy| tdz| bkc| snn| vym| eiy| qxe| fke| alb| unl| rzk| gyx| yry| esy| cns| njk| uun| sle| pms| fxa| lwa| qtb| djg| zkn| pxd| euk| cny| uji| mut| ubs|