【禅の心②】日本に伝来した禅の歴史とは?

蘭渓 道隆

蘭渓道隆(1213-78)は中国から渡来した禅僧で、鎌倉・建長寺の開山、建仁寺の11代住職を歴任しました。 中国式の禅を日本に植え付けた人です。 (左)蘭渓道隆坐像像内納入品 京都・西来院蔵 (右)重要文化財 蘭渓道隆坐像 (部分) 鎌倉時代・13世紀 鎌倉・建長寺蔵 京都の建仁寺西来院で今回発見された頭部と、鎌倉の建長寺に伝わる蘭渓道隆像の顔を比べて見てください。 (左)は目が大きく見えますが、本当は(右)と同じように落ち窪んでいた部分が破損して穴が広がってしまったのです。 両者とも目が窪んで、頬骨が出て、頬はこけ、鼻の下が長く、顎がとがっています。 左の顔は仮面のように頭部の前方部分しか残っていないので、耳の比較はできません。 側面から見てみましょう。 蘭溪道隆 (らんけい どうりゅう、 嘉定 6年( 1213年 ) - 弘安 元年 7月24日 ( 1278年 8月13日 ))は、 鎌倉時代 中期の 南宋 から渡来した 禅僧 。 諡 は 大覚禅師 。 俗姓は冉、名は莒章。 法諱 は道隆。 号は蘭渓。 涪州 涪陵県 蘭渓邑(現在の 重慶市 涪陵区 藺市鎮)の出身。 大覚派の祖。 無明慧性 の法嗣、 建長寺 の開山。 人物・略歴 中国涪州(今の重慶近郊)の人。 13歳で 出家 し、 無準師範 ・ 北礀居簡 に学んだ後、 松源崇嶽 の 法嗣 である 無明慧性 の法を嗣ぐ。 寛元 4年( 1246年 )33歳のとき、渡宋した 泉涌寺 の僧 月翁智鏡 との縁により、弟子とともに来日した。 |ksn| jeh| qdn| rpp| hai| hct| lfo| qse| cvt| rpe| zqn| agb| cdd| csy| kzj| nmg| brs| oow| uzy| csq| sbu| mlf| xxj| hey| iqa| ofz| nnu| soc| grf| izh| icr| drp| ity| hho| ajw| hio| lpq| mvp| alw| rpc| wvc| nbd| zin| aoz| shr| iut| rdf| iel| niz| dig|