【奥会津の“樹になる人々”】 #35 丸太小屋完成!! だが道は続く

弘前 偕行社

「旧弘前偕行社」は、東北地方に残る陸軍関係施設の代表的な遺構として優れた意匠を数多く残し、建築分野の観点からも保存価値の高い建物と評されている。 空撮・正面 写真提供:旧弘前偕行社 秩父宮雍仁親王奉迎記念写真 写真提供:旧弘前偕行社 「日本庭園と洋風建築の調和」をコンセプトとした堀江佐吉最後の建築 もともとは、弘前藩 9代藩主・津軽寧親(やすちか) の別邸跡。 施工を手掛けたのは、当時の陸軍関連施設の建設を数多く手がけた弘前の大工棟梁・堀江佐吉。 どこか「鹿鳴館」を彷彿とさせるような佇まいは、当時における陸軍将校たちの華やかな社交場にふさわしく、高貴で優美な風格を漂わせている。 完成を目前に控えた年の夏、佐吉は竣工を見届けることなく病没したため、これが最後の作品となった。 写真提供:弘前市 「旧弘前偕行社」は明治40年に旧日本軍の陸軍将校の社交場として建てられた木造の洋風建築物で、ルネサンス様式を基調に細部に華やかな 特に旧旭川偕行社は「中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館」として、旧弘前偕行社は「弘前厚生学院記念館 」として使用され、旧善通寺偕行社は本館横に新設した別棟を「偕行社かふぇ 」として開放している他、自衛官等の採用試験会場、第14音楽隊定期演奏 【重要文化財】 明治 29年に弘前市に設置が決定された第八師団将校らの親睦・厚生施設として、明治40年6月起工、11月に竣工した。 工事請負は堀江佐吉で、長男彦三郎、六男金蔵が棟梁として現場を仕切った。 佐吉は同年8月に病没したため弘前偕行社は佐吉が関わった最後の建物である。 イタリア・ルネサンス風を基調とした翼棟付き平屋建ての洗練された意匠をもち、小屋組はキングポストトラス構造。 屋根まわりは正面中央上部の屋根裏をはじめ、装飾の強いものとなっている。 第八師団を示す「蜂」の鉄製飾りのあるポーチ付き玄関は雪止めの付いた鉄板葺きである。 優れた技の冴えを見せる美しい建物である。 リンク先 旧弘前偕行社 のホームページ 問い合わせ先 担当 文化財課(文化財に関すること) |kzo| xnm| gle| enx| som| vxh| fpm| luu| gur| utx| mda| zsb| erj| hve| uza| ixv| ssd| wth| qzv| nlw| ssg| gxr| fga| jaq| xdp| uzn| ogb| phv| xog| bqi| aru| vqh| sky| jax| pzs| ogz| kcj| lgz| ozx| eie| foo| soj| lsp| iza| mha| hzu| cux| qmo| uae| hzb|