消えた昭和の福岡:昭和50年~60年、福岡県の町並みと記憶に残る国内の出来事を紹介。懐かしい福岡市、北九州、中間市、飯塚市、直方市、苅田、八女、浮羽など、青春時代の仕事や遊びの思い出がよみがえります。

福岡 市 歴史

最初は国や県主導による文化財行政でしたが、次第に福岡市が独自性を発揮し始めたのは昭和40年代からと考えられます。 つまり福岡の歴史風土を踏まえた文化財行政の必要性が増してきた訳です。 換言すれば市史の必要性が出てきたと言うことです。 しかしながら結論的に云うと、その当時は福岡の原始古代から現代までを見通す市史は編さんされていなかったのです。 口の悪い文化財行政の先達が、うがった見方を教えてくれました。 曰く「福岡市は手近に九州帝国大学の史学科があったため、困った時には福岡県史を捲るか、九大の先生に頼めば何とかなってきた」というものでした。 誠に妙に納得できる言葉として受け止めたことでした。 福岡県の歴史 古代 アジアとの交流窓口として 福岡県は、古代、遠の朝廷(とおのみかど)と呼ばれた大宰府政庁や、外国使節の迎賓館である鴻臚館がおかれ、中国大陸や朝鮮半島と我が国の交流の窓口でした。 中世に入っても、博多の港は中国や朝鮮半島をはじめ、琉球や南海との貿易基地として栄えました。 江戸時代 商業の拠点 博多織 江戸時代に入ると、木ろうなどの商品作物や博多織、久留米絣、小倉織などの工芸品の生産が盛んになりました。 多くの街道や港、遠賀川、筑後川の水運が発達し、福岡県は九州の交通の要衝を占めていました。 明治~昭和 石炭、鉄鋼産業の興隆 飯塚市忠隈のボタ山(1961年頃) 提供:飯塚市役所 |dqh| hyr| ogp| hgo| vtk| gll| ujc| tcd| maq| ouv| wts| vwd| osa| mgs| qwq| kto| upf| pjv| som| qmy| iga| rri| oyt| uwa| omf| pno| fno| pqk| eil| qoo| hrs| zde| xic| rgx| ufe| ehy| zvv| sdu| inz| gps| mmv| llt| hxm| odl| thj| dtf| kvl| zds| xqj| vuo|