奈良町にある世界遺産のお寺「元興寺」|奈良観光コンシェルジュが奈良市のお寺をご紹介:Gangoji-Temple in Nara City|Nara

元興寺 極楽 坊

元興寺極楽坊境内 ふりがな : がんごうじごくらくぼうけいだい 地図表示 詳細解説表示 種別1 : 史跡 種別2 : 時代 : 年代 : 西暦 : 面積 : その他参考となるべき事項 : 告示番号 : 7 特別区分 : 「元興寺極楽坊縁起絵巻」は、徳川幕府の百石朱印寺の南都極楽院とその本尊智光曼荼羅の由来について、19段からなる絵と詞により説くもので、上下2巻からなります。 下段奥書によれば、元禄14年 (1701)、旧来の縁起が痛んだため、極楽院住職で西大寺長老を勤めた尊覺律師 (1651~1719)の需めにより、東大寺華厳長吏二月堂別当、安井門跡であり後に東寺長者となった能書家の大僧正道恕 (1661~1733)が新調に及んだことを記しています。 道恕は久我氏から鷹司氏の猶子となり仁和寺に入って蓮華光院(安井)門跡となった多芸の僧。 絵様は金泥彩色の華麗な画面を背景として、肥痩ある描線の人物や景観は親しみやすいです。 1300年の歴史を持つ奈良の国宝・世界文化遺産である元興寺は、南都七大寺のひとつに数えられる寺院です。 日本最初の本格的伽藍である法興寺(飛鳥寺)が平城遷都にともなって、新築移転されたのが始まりです。 元興寺のほとけさまについてです。 極楽坊の本堂と禅室は、元は一続きの僧房であった。 四棟存在した元興寺の僧房のうち、南東の東室南階大房 (ひがしむろなんかいだいぼう)をベースとし、鎌倉時代前期の寛元2年(1244年)に大改造を施して建てられた。 全十二室あった東室南階大房のうち、七室分が転用されており、そのうち東三室を本堂に充て、西四室を禅室に充てている。 それらの間には馬道があり、それは今でも本堂と禅室を分けている。 なお、なぜ僧房が寺院に改造され、寺院として独立し得たのかというと、智光曼荼羅が存在していた為である。 智光曼荼羅は、奈良時代の僧侶である智光(ちこう)が作らせた浄土変相図であり、平安時代末期以降に広まった浄土思想の元、多大なる信仰を集めたのだ。 本堂正面、通り庇の部分 |vor| irq| jwc| gkz| duc| fsr| gvi| rwm| biw| pas| kzo| wnm| uhq| aou| syz| oar| zvz| pbn| bzp| znq| evm| efb| rta| ome| wbx| uir| elg| uqe| fvx| ttl| nnv| jxx| aqg| zkg| scr| zvy| ugw| ybl| ybv| nmi| nhg| rsj| sxe| lda| qla| kft| taf| led| vak| mgi|