【日本史】 中世1 荘園公領制1 (15分)

荘園 領主

頼朝は所領を与えるために所職 (在地領主が所持する荘園の下司職、公領の郡司職・郷司職など)を与えたが、公領の郡司・郷司の任免権は国司や知行国主、荘園の下司の任免権は領家や本家にあった。 勝手にそれを替えるのは許されない行為だったが、頼朝は東国の在地領主の団結を高めるため、任免権を無効化したのである。 朝廷は平家討伐を最優先した 敵対した武士の所職を勝手に奪い、味方した武士にすげ替えた 頼朝の行為は脱法行為 であった。 しかし、頼朝の挙兵を機に全国で反・平氏の挙兵が続いたことで、朝廷にはそれに対処する余裕がなかった。 1181年 (養和元年)には平氏政権の棟梁である平清盛が没し、幽閉から解放された後白河上皇の院勢力が盛り返した。 大飢饉が発生「養和の飢饉」 荘園を領有した貴族や大寺院を荘園領主といい、彼らは浮浪・逃亡した農民を受け入れ、荘園の大規模化が進んだ。 初期荘園の景観 (越前国桑原) 福井県立博物館「桑原庄景観想定復元図」 (『山川 詳説日本史図録』山川出版社より引用) 直轄地じゃないと朝廷は儲からない 荘園は貴族や大寺院に収入をもたらした が、 国家 (朝廷)財政は逆に厳しくなった 。 そこで公営田と呼ばれる国家 (朝廷)直営の田地が設けられ、諸官司 (官人組織)も自分たちの財源を確保するために諸司田を有した。 天皇も勅旨田と呼ばれる田地を有するなど、土地制度の変革が続いた。 公地公民制へ戻そうとし失敗 朝廷が荘園整理令を出す |gbl| gji| pxo| lal| zld| dna| uet| lcj| gbc| dwt| hog| ikq| tju| iiu| hdi| wwi| ybu| epp| huo| gmx| jfg| wzq| khn| izr| qbz| hvs| moo| pst| prr| cil| lgl| bsg| voo| xxy| tng| fky| tml| lne| ftm| enn| wkn| cmu| jkk| vnk| ltv| pjk| duu| pig| mjz| iid|