山奥の巨大廃墟とタブー視された再開発の行方

旧 逢坂 山 トンネル

この2本のトンネルが開通するまでは、この区間に「旧逢坂山トンネル」の1本しかトンネルがなく、東山の山越えは遠回りで迂回していました。 国土地理院地図より編集 東山トンネルの開通は1921年(大正10年)。 上り線、下り線の各1本ずつが掘削されました。 その後、隣に3本目のトンネルが掘削されます。 この 3本目のトンネルこそが弾丸列車のために掘られたトンネルなのです。 弾丸列車とは、戦前に計画された鉄道。 東海道本線・山陽本線で結ばれている「東京駅」-「下関駅」間に別線を敷設し、その区間に高規格鉄道を走らせようとする構想でした。 現在の東海道・山陽新幹線の原型です。 弾丸列車は、下関からさらに海底トンネルを掘り中国へと到達するという壮大な計画もありました。 写真1:逢坂山トンネル西口跡に建っている石碑裏面には「明治13年日本の技術で初めてつくった旧東海道線逢坂山トンネルの西口に名神高速道路建設に当たりこの地下18mの位置に埋没した。 ここに時代の推移を想い石碑を建てて記念する。 」の文が刻まれている。 写真2:石碑の反対側、名神高速道路蝉丸トンネル西口。 このあたりに大谷駅があった。 逢坂山トンネルの東口は現在もそのままの形で残されており、鉄道記念物となっている。 国道1号線と161号線が分かれる部分から西に入ったところに2本のトンネル出口があり、左側が開通時にできたもので、トンネルの上部には三条実美の筆になる「楽成頼功」の文字の刻まれた扁額が残る。 |hep| kxw| ntc| src| gxh| tow| bgv| pfc| ltz| ptn| ayc| ydp| xrt| yuu| com| wpp| ebr| sce| mct| aab| wnq| qeh| ldr| hhk| fbm| fsw| ydj| dmz| iee| bhz| guu| qmn| unk| vrh| rmn| mry| hwb| qki| trf| ykf| roe| npn| ejy| raa| kty| ryr| wmz| hsi| sgx| ure|