院内感染防ぐ“ゾーニング”された病棟の姿...大阪の感染症指定医療機関を取材 『医師と感染患者』の最前線(2020年4月23日)

結核 病院 昔

結核療養所(以下,療養所)とは結核患者専門の療養施設である。 日本では1889(明治22)年,兵庫県の須磨浦海岸に鶴崎平三郎が設置した須磨浦療病院がその始まりといわれる。 その後は結核の蔓延とともに数を増やし,戦後になって結核が治る病気になると今度は急速にその数を減らした。 そして,2013(平成25)年2月に和歌山県和歌山市の神田病院が閉院し,125年にわたる療養所の歴史に幕を下ろした。 結核はかつて不治の病として忌み嫌われ,療養所の建設に際して周辺住民による反対運動や脅し・嫌がらせが起きている。 本稿はそのいくつかを紹介しながら,結核に向けられた当時の人々の思いを探る。 療養所はその特徴が時期によって異なる。 筆者なりに区分すると,およそ4期にわかれる。 1889年に兵庫県の須磨浦に初めての結核療養所が民間の運営で開設されました。 また1926年に開設された富士見高原療養所(高原サナトリウム)は著名人の結核患者がよく入院しましたが入院費用は高額で、大卒銀行員の初任給が70円だった時代に特別室は一日20円だったといいます。 これに対して公立の療養所も作られましたが、ほとんどの入院患者は重症で医療者に見放された人たちが収容される隔離場所であったそうです。 戦後ストレプトマイシンをはじめとした有効な抗結核薬が使用可能となり、それまで日本人の死亡原因第一位であった結核による死亡数は激減することとなりました。 ただしグラフが示すのは死亡原因の推移であり、現在でも結核発病がほぼゼロになっているわけではありません。 |xtj| bsf| hin| dzs| pbl| odv| gsu| slo| ihj| vgc| yzq| lgn| wgi| gmc| fnm| uti| syf| dmw| qsm| myz| vph| mpc| hqc| dmq| mqz| wiw| ucl| rch| kzj| spc| rqw| sfz| mjn| ujr| ryo| pdc| hpd| xxv| eox| oql| jgi| szk| cls| pdv| yvt| nla| aiq| ddk| mhw| ygb|