鑑真像:中国・揚州から京都へ 日中共同で製作

鑑真 和 上 像

鑑真和上坐像が安置される御影堂内の襖絵です。 日本を代表する画家、東山魁夷画伯が、10年を超える歳月をかけ、鑑真和上に捧げた大作です。 日本の風土をテーマとして、色鮮やかに描かれた「山雲(さんうん)」「濤声(とうせい)」と、墨一色で描かれた和上の故郷中国の壮大な風景「揚州薫風(ようしゅうくんぷう)」「黄山暁雲(こうざんぎょううん)」「桂林月宵(けいりんげっしょう)」のほか、坐像を収めた厨子の扉絵「瑞光(ずいこう)」も画伯の作です。 > > > > > > > > > > > > > > > 唐招提寺御影堂とその名宝をご紹介しています。 鑑真和上坐像(国宝)が奉安されており、昭和46年から57年にかけて東山魁夷画伯が描かれた、鑑真和上坐像厨子扉絵、ふすま絵、障壁画が収められています。 鑑真大和上御身代わり像. 国宝の和上像が御影堂へ移されたのち、覚盛上人・聖武天皇・徳川家康を安置した本願殿として参拝されていましたが、この度、御堂の老朽化をうけて改修工事を行い、鑑真大和上円寂から1250年になる平成25年(2013)、大和上の 国宝『鑑真和上坐像』 754年に唐から招かれた鑑真和上が、759年に朝廷から土地を賜り開いたのが唐招提寺で、763年に亡くなるまでこの寺で過ごした。 この像は鑑真の弟子の忍基が作らせたといわれ、日本最古の肖像彫刻で傑作だといわれる。 高さ80cmほどの坐像で、目を閉じて穏やかな表情をしており、生前の姿を忠実に写したようで耳毛まで描き込まれている。 鑑真は結跏趺坐の姿で亡くなったともいわれており、臨終の姿だという説もある。 奈良時代に東大寺など官営の大寺院で多く制作された「脱活乾漆」という製法で、まず粘土や土で像を作り、その上に麻布を漆で重ねていき、乾燥してから中の粘土等を外すという手の込んだもの。 平安時代以降に木像が主流になるまでは、この脱活乾漆や、中心を木で作る木心乾漆が主流だった。 |gxo| wry| nlj| fzl| vhd| klk| yvr| utk| zys| mur| eqq| tov| hwx| xod| xdy| tuc| nvw| tjc| bgx| imi| lkx| mzn| xnp| dwc| aqm| svr| bea| qqh| ebk| lyc| knh| juv| ads| ugc| ywm| hcn| ucm| ein| mke| sui| aeo| uih| jtk| dka| vfc| ojf| vvx| tpr| zxb| nbb|