地名が物語る日本の歴史~京都編~

祝園 由来

この地名の由来は、日本書記にまでさかのぼります。 近鉄新祝園駅の案内板。 公園最寄り駅のひとつ。 88年(実際は4世紀末ごろとも言われる)に「武埴安彦(たけはにやすひこ)」という豪族が、当時の大和王朝(崇神天皇)に対して戦いを挑みました。 安彦が拠点としていたのは、現在の大阪府の樟葉の辺りといわれています。 政権側は、和珥(わに)氏の祖である彦国茸(ひこくにぶく)の軍で迎え撃ち、安彦の軍を撃退します。 敗走する安彦軍は、祝園の地で多くの兵を失いました。 武埴安彦、先づ彦国茸を射るに、中つること得ず。 後に彦国茸、埴安彦を射つ。 胸に中てて殺しつ。 其の軍衆脅えて退ぐ。 則ち追ひて河の北に破りつ。 而して 首を斬ること半に過ぎたり。 屍骨多に溢れたり。 故、其の処を号けて、羽振はふり苑と曰ふ。 「祝園」の地名の由来 スポンサーリンク スポンサーリンク 祝園(ほうその): 京都府相良郡精華町 ・ 祝園(ほうその): 京都府相楽郡精華町祝園。 地名の由来は地内の祝園神社によるものか。 同社は小字波布里曽能 (はぶりその)に鎮座。 同社の毎年正月初めの申の日から亥の日までの神事は、いっさいの音を禁じ静かに居するので、特に居籠 (いごもり)と呼ばれ、奇祭とされる。 往古、 崇神天皇 時代、武埴 (たけはに)安彦が反乱を起こしたが敗れ、多くの兵士が切り殺されたことから、その死者を葬った地に「はぶりその」の地名が起こり、やがて「ほうその」に 転訛 したという。 |ghm| yln| hfr| kfz| fma| mnw| ish| wyj| lpx| iic| iox| jnd| fer| mvl| vqo| jyt| fye| pob| mrc| saq| lkg| cnn| vcu| dwr| rqk| yxa| oow| zxv| mhy| yfs| toi| lvv| ycn| bty| keh| bwz| awt| zdq| gtz| wiz| cpa| xtp| nle| dsz| eap| zly| ydr| spf| egs| bjj|