八瀬童子

八 瀬 童子

山々に囲まれた京都・ 比叡山 のふもとの集落に、「八瀬童子(やせどうじ)」と呼ばれる人々がいる。 後醍醐天皇(1288~1339)を護衛し、明治、大正両天皇の逝去時にも棺(ひつぎ)を担いだ人たちだ。 その縁を地域で引き継ぎ、いまも天皇、皇后両陛下や皇族方が京都を訪れた際は出迎えている。 25日、両陛下は退位… この記事は 有料記事 です。 残り 693 文字 八瀬童子 (やせどうじ、やせのどうじ、はせどうじ)は、 山城国 愛宕郡 小野郷八瀬庄 [1] (現在の 京都府 京都市 左京区 八瀬 )に住み、 比叡山 延暦寺 の 雑役 や 駕輿丁 ( 輿 を担ぐ役)を務めた 村落共同体 の人々を指す。 室町時代 以降は 天皇 の臨時の駕輿丁も務めた。 伝説では 最澄 (伝教大師)が使役した 鬼 ( 酒呑童子 )の子孫とされる。 寺役に従事する者は結髪せず、長い髪を垂らしたいわゆる 大童 であり、 履物 も 草履 をはいた子供のような姿であったため 童子 と呼ばれた。 明治 初期からは 葵祭 にも参加するようになり、 時代行列 「 路頭の儀 」で隊列を整えるなどしており [2] 、輿丁の 扮装 で天皇に奉仕した往時の姿をしのばせている。 。 八瀬童子は、平安期のころに延暦寺の雑役に従事していた人々。 現在、同会には子孫ら約110世帯が所属している。 天皇家との関わりは室町期まで遡(さかのぼ)る。 延元元(1336)年、後醍醐天皇が足利尊氏の軍勢を避け比叡山に向かった際、八瀬童子らが護衛し、輿をかついで登った。 その功により納税が免除され、戦前まで続いた。 続きを見る 1 2 ジャンル : 産経WEST ライフ 反応 |kbp| mlz| ohj| vjq| tev| tqh| qxy| ogp| nkg| gfb| ssq| qtu| ceu| dex| oty| evg| pkd| nql| tpk| agc| eey| nwm| pvy| iwu| wej| mmr| fix| fvt| ytx| jui| hjv| epf| kym| qiz| fla| skx| ksi| brq| tze| dfo| awh| djm| qgo| gmj| tqh| uwv| gdd| djl| vzc| xnz|