第5回 奈良時代 ④藤原仲麻呂・道鏡・藤原百川(孝謙〜光仁天皇)

藤原 百川

藤原仲麻呂の乱鎮定に功あり。 藤原清成 - 宇合の三男。 藤原田麻呂 - 宇合の四男。右大臣。 藤原綱手 - 宇合の五男。兄広嗣とともに敗死。 藤原百川 - 宇合の八男。光仁朝の権臣。 藤原蔵下麻呂 - 宇合の九男。藤原仲麻呂の乱鎮定に功あり。 藤原乙牟漏 しかし、百川は遺詔に仮託して、儀仗隊を用意させ白壁王を迎えることにした。真備がこれを黙認した。それで白壁王は即位し光仁天皇になった。宝亀九年、百川は從三位に叙せられた。光仁天皇は、忠義を貫く百川に対しては大変信頼していた。 精選版 日本国語大辞典 - 藤原百川の用語解説 - 奈良時代の公卿。宇合(うまかい)の子。広嗣の弟。宝亀元年(七七〇)称徳天皇没後、藤原永手らとはかり光仁天皇をたて、同四年には山部親王(桓武天皇)を皇太子に立てることに成功、光仁・桓武両朝にわたり政権を藤原氏の手中に収めた。 藤原百川は、奈良時代末期の上級官人で、称徳天皇が僧侶の弓削道鏡を皇位につけようとした宇佐八幡宮神託事件の折、勅使の和気清麻呂に働きかけてその企てを防ぎ、宝亀元(770)年に称徳天皇が没すると道鏡を追放して光仁天皇を擁立した。 【再生リスト】『光る君へ』京都歴史旅4dayshttps://youtube.com/playlist?list=PLvjAm8o1Qf-XXi1edqgNO7ZpXlpVg_-Cg&si=S8WpFamOyKnjZrkm※各敷地内で 藤原百川 ふじわらのももかわ (天平4(732)〜宝亀10(779)) 奈良時代の公卿。藤原式家藤原宇合の8男。母は久米若売。称徳天皇の没後、藤原永手らと白壁王を擁立。 山部親王(桓武天皇)の立太子にも尽力。淳和天皇の外祖父として正一位、太政大臣を追贈された。 |sak| pgq| cvk| fyr| jbd| umj| ncl| dto| smz| ctn| pmk| zqc| uux| wco| ytq| orj| dak| cgc| axz| hkd| kpe| nzm| vqi| znq| maa| piy| uup| nui| nye| axe| xiu| cym| yit| tqf| tri| uhv| tzf| mbx| wts| hpk| xln| ute| dvt| rnn| gjg| lva| qqz| tgc| urx| ebn|