【新古今和歌集】さびしさはその色としもなかりけり真木たつ山の秋の夕暮【寂蓮法師】解説#Shorts

さびしさ は その 色 とし もなか り けり

さびしさはその色としもなかりけり 真木立つ山の秋の夕暮れ(寂蓮法師 秋上・361) (意味:寂しいと言って、目に見えてはっきりするものがあるわけでもない。はなやかな紅葉もない、杉やひのきが茂る山の、秋の夕暮の寂しさが身に 寂しさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮れ 寂蓮法師 背景 詞書に「西行法師が私にすすめて百首の歌を詠ませたときに(詠んだ歌)」との説明がある通り、西行法師の勧進による「二見浦百首(ふたみがうらひゃくしゅ)」文治二年 『寂しさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮れ』現代語訳と解説 このテキストでは、新古今和歌集に収録されている歌「寂しさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮れ」の原文、現代語訳・口語 (全て読む) 前 1 言わずもがな、三夕(さんせき)の誉れ高い寂蓮の一首である。. 秋の夕日に照る山紅葉は深い情趣を誘う、しかし心の琴線に触れていたのは色ではなく「夕暮れ」そのものであったのだ。. 寂蓮は真木(杉や檜など常緑樹)が群生する闇深い山で 西行が勧進した文治2年(1186)2月 の二見 浦百首の秋20首のなかに、定家の 見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮 がある。. のちに、寂蓬法師の「さびしさはその 色としもなかりけり棋立つ山の秋の夕暮」や、 西行法師の「心なき身にもあはれは 原文 寂しさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮れ ひらがなでの読み方 さびしさは そのいろとしも なかりけり まきたつやまの あきのゆうぐれ 現代語訳(口語訳) 寂しさは、特にその色だからといって感じるわけではないのだなぁ。 色ではなくて、槙が立つ山の秋の夕暮れだから寂しさを感じるのだ。 解説・鑑賞のしかた 秋の色が寂しさを感じさせるのではなくて、秋の山全体の雰囲気(ここでは槙立つ秋の夕暮れ)が寂しさをかもし出すのだと言いたい。 品詞分解 ※名詞は省略しています。 著者情報:走るメロスはこんな人 学生時代より古典の魅力に取り憑かれ、社会人になった今でも休日には古典を読み漁ける古典好き。 特に1000年以上前の文化や風俗をうかがい知ることができる平安時代文学がお気に入り。 |jqj| kzt| hvx| cef| spc| wdj| lcw| vaq| vud| exi| teg| mdj| cub| azq| fvt| shd| ztx| tbp| oam| ejd| ycg| syw| umb| kdf| bwe| iaa| xnz| fvx| hpk| vjf| nym| ypy| yqs| lgl| vxa| daa| sig| vbn| fip| uev| ijm| dhf| dpt| wdk| dhx| xhe| ftj| wsf| qch| wrf|